「ひまわり」比喩語とその解釈@音楽療法

 

井上聡子

 

今回は、クライエントの「言葉と行動」から変化を観察する事について考察してみました。

 

今回のキーワードとなる、夏の花「ひまわり」の花言葉は、「あこがれ」とか「私の目はあなただけを見つめる」などといわれています。この花の原産国は北アメリカで、別名「日車—ひぐるま」、「天竺葵—てんじくあおい」、「日輪草—にちりんそう」といわれています。

 

先日、私の働いている高齢者施設の認知症を患われているクライエントの方から、「あなたは、ひまわりのようね。」と言われて照れてしまいました。音楽療法の実践を行ってきた方なら経験された事があると思いますが、 いつもうつろな目をされているクライエントの目がきらきらと輝く瞬間があります。そんな時に、「あ、今繫がったな」と感じます。

 

さて、このクライエントは、最近そのきらきらと目を輝かされる瞬間を長く継続されるようになっていました。特に、音楽が始まると目をきらきらとさせて、積極的に歌ったり、身体ストレッチをされたり、徘徊や妄想等もなくセラピストの目を見て話して下さいますが、その方の口から「ひまわりのようね。」という言葉が出てきたのには驚きました。

 

それ以前は、私の顔を見ると、「ピンクのほっぺたね。」とか、「きれいにお化粧ね。」とか言われていたのに、今日は『ひまわりのようね。』という夏の花のひまわりを比喩語として使われたのには何か意味があるのだろうか?そんなことを考えつつセッションを進めていました。

 

ちょうど、今週の生け花の花が『ひまわり』だったかもしれないし、この方はひまわりが好きだったのかもしれない。ただ、何かのきっかけで、この方から「ひまわり」という今までとは違った言葉が出てきたのは嬉しい出来事でした。

 

しかし、実際には、今回のこの言葉には何も意味がないのかもしれません。もっと継続して、その方の言葉の変化を見る必要がありますが、音楽療法に参加される方の参加時の、「言葉の使われ方」にもその方の状態を把握する鍵があるのではないかと考えています。みなさんは、クライエントとのこのようなやり取りがあったら、どのように解釈をしますか?

 

こういった「いつもと違った」言動が見られた時や、「繫がったと感じる瞬間」が起きた時に、それだけで満足してしまわず、その出来事を観察し、その瞬間がどのように変化していくか、そのパターンを記録することが大切だと私は考えています。

 

特定の行動を促すのは、セラピストの音楽の選曲だったり、音楽の提供の仕方だったりもします。どのように音楽で促しをするかによって、「その瞬間」が再度起こるか、またはそれが継続されるかなど、クライエントの行動変容に大きく関わってきます。嬉しい瞬間をそれだけで済ませず、次に繋げて行けるように常に考えて療法を行うことが大切ではないでしょうか。皆さんの解釈はいかがですか?