音楽を拒否する時・される時 vol.2

 

小沼愛子

 

ブログ「音楽を拒否する時・される時 vol.1からの続きです。

 

 

前回は私の体が音楽を拒否することについて書きましたが、今回は過去に自分の音楽や音楽療法が対象者によって拒否されたことについて書いてみます。

 

 

音楽療法の学生だった頃、実習先の病院で初めて会った8歳の男の子を対象にセッションを開始した直後のことでした。

 

「音楽はぼくを悲しい気持ちにさせるから要らない」と、最初の一曲目を歌い終わった時に、穏やかながらもきっぱりとした口調で、私の提供した音楽を拒絶されたのです。

 

精神疾患のある人もしくは聴覚過敏の人以外から、このようにはっきり言葉で拒否されたことは、それが初めてでした。当時、今以上に英語に 出来なかった私は 、「そうだとは知らなくてごめんね。」とその子に言うのが精一杯、その後はあまり上手く会話を続けることも出来ず、正に撃沈、という気分で実習先を後にしたのを思い出します。

 

その後、インターン中にも、プロの音楽療法士として働き出してからも、音楽を拒絶されることは何度もありました。特に、手術後でまだ疲れている人や痛みで苦しんでいる人、肉体的苦痛はなくても鬱状態で苦しんでいる人などからは、ごく普通にあるリアクションでした。

 

時には鬱陶しそうに、

 

時には苛立ちを込めて、

 

時には申し訳なさそうに、

 

時には無言で首を横にふられ、

 

時には残念そうに、

 

 

「今の自分には音楽は要らない」「音楽は好きじゃない」「そういう気分じゃない」などと言われたり態度で示されたりするわけです。 

 

私は「音楽の押し売り」には反対ですが、そんな私でも、拒否される度に「はい、そうですか」と引き下がってばかりもいられません。

 

可能であれば、「何か私に出来ることがありますか?」などと訊ねる場合もあります。音楽は要らないけれど、一緒にいて話し相手になって欲しい、という方もいたりします。しばらく話をして打ち解けて、そこから音楽を受け入れてくれるというパターンもあれば、話すだけで終わる場合もあります。

 

(*もちろん、話すよりも先に音楽を始めた方が良いケースも沢山あります。会話なしで、コニュニケーションはすべて音楽の中で行われる、というセッションになる場合も多々ありますが、今回はそのようなセッションのことは横において書いています。)

 

今なら、実習生だった時のようにひたすら落ち込むことにはならない、音楽もしくは音楽療法への拒絶反応。 その時々、患者さんや対象となる方のニーズを把握し、それに沿ってその時に最善と思われることを行っていく、ということにはっきり焦点があっていれば、あのように落ち込みことはないはず、と考えています。

 

 

実習生だった頃、私はどうしてあんなに落ち込んだのでしょうか?

 

 

英語がままならず、思う様に会話が続けられなかったことは最大の原因でしたが、実はそれ以外にも理由があったと考えています。それは、自分がその実習の為に一生懸命に準備してきたことが否定された(受け入れてもらえなかった)、と考えてしまったからだと思うのです。要するに、自分の都合中心に考えていた部分があった、ということです。

 

今では、対象者が「音楽は要らない」と感じる時に、それを遠慮なく伝えてもらうことの出来るようなアプローチを音楽療法士が心がけることは必須だと考えています。言葉で伝えることの出来ない人が対象であれば、様子を注意深く観察しつつ、本当にその音楽が対象者の為になっているか確認しながらセッションを進めていくことも然り、でしょう。

 

全力で音楽を「拒否」もしくは体が「拒絶」している人を相手に、音楽療法士が自分の用意してきた音楽を無遠慮にかき鳴らし続けてしまえば、もはや、「療法」とは呼び難いものになっているかもしれません。

 

 

音楽は「癒し」になることもあれば「痛み」になることもある。

 

 

今更ですが、こんな当たり前のことを、この怪我で音楽を聴くことが苦痛になったことをきっかけに改めて考えていました。

 

 

〜 次回は、私自身の「音楽を全く受け付けない」状態からの回復について書かせていただく予定です。

 

 

ブログ村「音楽療法」のページはこちらから

 

人気ブログランキング「音楽療法」のページはこちらから