メアリーさんのピアノ#1

小沼愛子

 

皆さんこんにちは。こちらボストンはすっかり紅葉が進み、すでに沢山の葉が散り落ちています。落葉が地面を彩りそれがまた何とも美しく、カラカラと舞う姿とその音は少し寂しくもコミカルで楽しくもあり、散歩には最高! と感じる季節のひとつです。

 

紅葉のおかげで、毎年この時期は仕事へ向かうドライブが少しだけ楽しみになります。一週間ほど前のある日郊外の街へ仕事に向かう途中、道路脇の紅葉の美しさに息を飲みました。私は2週間に一度、メアリーさんという女性にピアノを教えに行くために、その街を訪れています。    

 

メアリーさんが私の生徒となったのは、2年数ヶ月前に届いた、ある音楽学校の経営者からのEメールがきっかけでした。

 

 

「高齢の初心者でピアノを習いたいという人がいて、音楽療法士で高齢者対象に働いた経験のあるアイコが適任ではと思って連絡している」

 

この内容に私の心はすっかり動かされ、すぐに詳細を求めて返信を送りました。

 

「あなたの自宅からメアリーさん宅までは少し距離があるけれど、もしよければと思って。」

 

「これも何かの縁だと思うから、是非やらせてください!」

 

トントン拍子に話が進み、ドキドキわくわくしながら初めてメアリーさんの家へドライブしたのは、2011年の9月のことでした。辿り着いたのは、美しくも可愛らしい印象の住宅街。古い一件屋のベルを押すと、豊かな白髪で血色良い顔を囲った白人女性が笑顔でドアを開け、私を招き入れてくれました。ピンと伸びた背中が骨格の良さを強調して、がっしりとした印象を与えていました。

 

「この家はすぐに見つかった?どうぞ中に入って。こっちに来て座って少しお話しましょう。あなたがどんな人か知りたいわ。」手際良く私を台所のテーブルへ誘導し、「ところで、あなたの名前はどう発音するの?間違って呼びたくないから、きちんと教えてもらえるかしら?」と、どちらが先生か分からないような、完全なメアリーさんペースで話は始まりました。

 

明快で忙しすぎない口調、ユーモアはあるけれど無駄のない受け答え、そして、私がどんな人間であるか見据えようとする強い目。メアリーさんに相当の知性を感じながら、途中、私はまるでアルバイトの面接を受けている学生になったような気分でした。

 

「メアリーさん、ピアノは初めてだと学校の方から聞きていますが、何か他に楽器を習った事はあります?」

 

「正直に言うと、40くらいの頃に2年くらいピアノレッスンを受けたことがあるのよ。当時は働きながら6人の子供の子育て中でとにかく忙しくて、音楽は大好きでピアノはいつか弾いてみたいと思っていたけれど、続かなかったの。それもかれこれ40年も前のことでピアノの弾き方なんて何も覚えていないから、初心者同然。経験あるなんて、恥ずかしくて言えなかったのよ!」

 

そう言って高らかに笑うメアリーさんからは豪快さも感じられ、逞しく生きてきた女性に見受けられました。その後、一歩一歩踏みしめる様にしっかり歩くメアリーさんの後についてピアノが置かれているリビングに移動し、彼女の手がピアノの上に置かれた瞬間、その日初めて、彼女の年齢を色濃く感じさせるものが私の目に飛び込んできました。

 

「手や指の動きはどうですか?特に問題は?」

 

「ああ、見て分かると思うけれど、変形性関節炎があって、思う様に動かせないことが多くなってきているの。」

 

メアリーさんのすべての指関節は腫れて指先は曲がっていました。それは私が高齢者施設で頻繁に目にしてきた変形性関節炎と同じ状態で、何とも痛々しい見た目です。

 

「痛みはありますか?」

 

「痛くはないわ。ただ、言うこときいてくれないだけ。」

 

「そうですか。痛みがないのは幸いです。しっかり様子を見ながらレッスンしていきましょう。痛みがあったらすぐに教えて下さいね。医師に相談する必要があると思うので。」

 

「もうドクターには相談したのよ。ピアノ習うことを考えているけれど、関節炎に悪影響があるか?って。やっぱり心配だったから。使いすぎなければ大丈夫、良いことだと思う、と言われたわ。」

 

「それは良かったです。適度な運動や手を程よく使うことは良いことだと私も聞いています。ところで、このタイプの関節炎になる人は過去によく手を使う職業だったことが多いと聞いていますが、当てはまりますか?」

 

「私はナースだったから何かと手を使った細かい作業は多かったし、家事も多くて間違いなく酷使してきたわね。」

 

「ナースですか!何だか納得です。当時のお姿が目に浮かびます。というか、今も現役で働いていそうに見えますよ。」

 

「今は経験を活かして病院でボランティアをしているのよ。」

 

「それは素晴らしいです!ところで、病院にいらっしゃる時間が長いですから、検査やテストには慣れっこですよね?少し手や腕の動きをチェックしたいので、私のする動作を一緒にやってみてもらえますか?」

 

「あなた、ナースを検査するの?音楽を習うのにこんなさせられるとは思ってもみなかった!でも、とても道理にかなっているわね。」

 

メアリーさんは再度声を上げて清々しく笑い、首、肩、腕、手首、指の動きをチェックする動作を私と一緒にしてくれました。教則本の最初の数ページをさらい、練習の方法を説明し、一回目のレッスンは無事終了しました。45分という時間でメアリーさんについて分かったことは実に沢山ありました。そして、彼女の家を離れる時には、すでにこの人間的魅力溢れる女性との再会が待ち遠しくなっていました。

 

それから2年余り。あの時と変わらないこと、変わったこと。あることがきっかけで、最近そんなことをよく考えるようになりました。

 

音楽を通してメアリーさんと私が培ってきたもの。

私が彼女から教わってきたこと。

彼女にとって音楽が何であるのか。

そして、メアリーさんのピアノはどう変化していくのか。

 

今後このブログで少しずつ紹介させていただきたいと思います。

 

 

*「メアリーさんのピアノ#2」に続く

 

 

 

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