なにをもって音楽というのか?その3

小沼愛子

 

前回から続き、シリーズ最終回となります。

 

音楽療法では音楽を療法の媒体として使用するため、この職業に就く人は何らかの形で音楽を本格的に学んだことのある人達です。日本の場合は音楽大学で専門的に演奏等を学んだ人も多いと認識しています。

 

日本の音楽大学教育は、西洋音楽、いわゆるクラシックと呼ばれるものが基本になっているのが一般的です。それ自体に問題はないわけですが、その教育を受けたがため、クラシック音楽だけが本当の音楽、正しい音楽、どんな演奏にもミスは許されない、という認識を持ってしまった場合、音楽療法士として働く上で効果的に音楽を使用する妨げになる場合があるかもしれません。

 

音楽療法の対象者となる人の多くは専門的に音楽を学んでいませんから、「クラシックこそが音楽」「演奏にミスは許されない」と思っていない人の方が多いのです。

 

これはほんの一部の話だとは思いたいのですが、「音大で学んだ音楽常識がクライエントに通用しない」= 「クライエントが音楽を分かっていない」と捉える音楽療法士がいると聞いたことがあります。これにはショックを受けました。

 

クラシック音楽は現存する数多くの音楽ジャンルの中ではごく一部の存在です。音楽好きを自称する人達の中には「音楽は好きだけれどクラシックは興味がない」という人も多数います。逆に「クラシックは好きだけれど演歌は苦手」という人もいます。音楽を「芸術」として捉え、「芸術的でないもの・美しくないものは音楽ではない」という意見の人もいます。音楽の好みや楽しみ方は本当に人それぞれです。

 

実に幅が広く様々な側面を持つ媒体である上に、情報と価値観の多様化も加わり、「音楽の捉え方は個人の経験によって全く違っていることが大前提」になっているとさえ思います。

 

ここまで書いたことをまとめると、音楽の定義に絶対的なものは存在していないけれど、「音楽の捉え方は個人によって違うという事実は存在している」ということになります。

 

 

音楽療法士はこの事実をしっかり受け入れ、「自分が習った音楽や演奏法が皆にとって正しい音楽というわけではないこと」を忘れず、個人の音楽との関係性について慎重に考え取り扱う必要があります。音楽療法という名の「療法士側の勝手なこだわりに基づいた音楽の押し付け」にならないよう、十二分に気をつける必要がある職業です。

 

さて、冒頭のアメリカンアイドルのオーディション現場で私が思ったことは、 「この歌い手が自分のクライエントだとして、セッション中にこんなに気持ち良さそうに歌われたら手放しで褒めるかも。でも、この人にプロのシンガーになりたいと相談されたら、今の実力ではそれは難しいと思うと伝えるなあ」でした。

 

 

どこからが音楽か。なにをもって音楽というか。明確なラインがないからこそ、私達音楽療法士がそれぞれの価値観と音楽活動の目的を尊重し、柔軟に対応していきたいところではないかな、と考えます。

 

 

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